白内障手術の歴史

参考にしたのは、主として 「白内障手術の歴史」(三島済一、「臨眼」誌 連載 全4回、1994年〜1995年)他です。

それによると古代の人は寿命が短かったとは言え、白内障にかかる人もいたようです。お釈迦様が生まれる頃の紀元前800年頃、つまり今から3000年も前に、インドのベンガル地方にいた“ススルタ”という名高い医者が医学書をしたためていて、その中に白内障の手術をしたという記述があるそうです。この手術の方法は変質して硬くなった水晶体を針で突いて、眼の内側に落とすという荒っぽい方法でした。この方法は、”Couching”(クーチング、硝子体転位法)と呼ばれているようです。

水晶体がないと強度の遠視の状態になります。レンズがないカメラのようなものですが、それでも明暗はわかるようになるし、ひょっとしたらピンホールのメガネで目の前の光景が見えたのかもしれません。この手術の方法は1800年頃まで、日本を含めて世界の各地で行われていたようです。

日本ではこの白内障を意味する言葉が、平安時代に書かれた現存最古の医学書「医心方」(いしんぽう、984)に出ているのだそうです。白内障の手術は、水晶体を眼の中に突き落とすという上記の”Couching”法が室町時代の初期(1350〜1360)には行われていたとのことですが、おそらく中国から伝わったのではないかとされているようです。ずいぶんと昔から白内障の手術は行われていたことになります。

18世紀になると、変質した水晶体を手術で眼の外に取り出すという方法がフランスで考案されました。”Extraction”(エクストラクション、水晶体摘出法)と言うようです。この方法の方が危険は少ないということで、”Couching”法に代わって20世紀半ばまで行われていきます。1923年のモネの右眼の白内障手術は、水晶体を摘出するというこの”Extraction”法で行われたことになります。何とか見えていた左目はあえて危険な手術を行わなかったのでしょう。

年をとれば誰でも遠視になります。年齢とともに水晶体はかたくなり、水晶体の厚さを調整する機能が困難になり、近くのものにピントを合わせることができなくなります。凸レンズを遠視用のメガネに使うというアイディアはすでに13〜14世紀にイタリアで考案されていたというから、白内障手術をして水晶体を取ってしまっても、強い度数の凸レンズ・メガネで視力は何とか補正できたのでしょう。見えないよりはましですし、何も文字を読めないよりは少しでも読めて方が良いに決まっています。手術後のモネのメガネはそれだったと思います。

「眼内レンズ」という眼科手術の革新が起こった

では、今日のように水晶体を取りだした跡に眼内レンズを入れるというアイディアに成功したのはいつからであったのだろうかと調べてみると、眼科手術に革命を起こしたこの「眼内レンズ」法は、1949年にイギリスの眼科医Nicholas Harold Lloyd Ridley(1906-2001)が行った手術が最初のようです。そのイノベーションの発端となった発見のプロセスが興味深かったので以下に書いておこうと思います。

1940年8月15日、英国空軍戦闘機ホーカー・ハリケーンに乗っていた第601飛行中隊リーダーのパイロットGordon Cleaverがイギリス本土のウィンチェスターの上空で撃墜されました。ドイツ空軍との“Battle of Britain”が始まって1ヶ月ほど経った頃です。彼は2日前には双発のメッサーシュミットBf.110を撃墜しているのですが、この日は、記録にはないのですが、ハリケーンよりも航空性能に優れていたドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットBf.109に撃墜されたのではないかと私は思っています。彼はパラシュートで脱出して命は助かったものの、撃墜された際に風防(キャノピー)の破片が両眼に突き刺さったのです。18回もの眼の手術を行うことになりましたが、しかし破片を残したまま左目の視力は著しく低下し、右目は失明しました。

その後、英軍の眼科医Ridleyが眼の治療処置でCleaverの診察を担当することになりました。その際に、彼はCleaverの眼の中に入っていた風防材料のアクリル樹脂(ポリメチルメタアクリレートPMMA、ICI製)の破片が、ガラス製風防材料の破片の場合は炎症を起こすのに対して、何の炎症をも起こしていないことを発見したのです。アクリル樹脂レンズなら炎症を起こさずに「眼内レンズ」に使えるとのRidleyのひらめきを実際に眼科治療に試みるには、しかし長い平和な時間が必要でした。

Ridleyは第2次大戦後になって、そのことを思い出し、アクリル樹脂で眼内レンズを作ることにし、1949年にそのレンズを用いてインプラント手術を試みたのです。Cleaverが撃墜されてから10年もの歳月が経っていたことになります。このRidleyの方式は今日までも踏襲されている眼科手術におけるイノベーションとなりました。私も彼の恩恵を受けていることになります。

後日談として、「眼内レンズ」のイノベーションのきっかけとなった戦闘機ホーカー・ハリケーンのパイロットCleaverは70歳になった時に、白内障手術を行って「眼内レンズ」を入れ、40年ぶりに視力が回復したと言うことです。

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